特に大きな出来事もなく、いつもと変わらないような日が続いたとき、みなさんはどのような気持ちになりますか?
なんの変哲もない日々を送っている自分に嫌気がさしたりはしませんか?
私は「日常」を過ごすことも大事だと思おうとしても、どうしても同世代の活躍している人と自分を比べて、自分は何をやっているんだろう、活躍している人と同じだけ時間はあるのに、自分は生産性のない無駄な時間を過ごしているのではないか、と思ってしまいます。
みなさんはどうでしょうか?共感する人もいるのではないでしょうか?
しかし「日常」を過ごすことは本当にダメなことでしょうか?
私自身今までは良いことと思えませんでしたが、思わぬことがきっかけで考え方に変化が訪れ、今は嫌悪感を抱く必要はなく、むしろ大事なことだと思うべきだと感じるようになりました。
そのきっかけになったのは、「批評理論を学ぶこと」でした。
批評理論で学んだ表現の技法の1つに【時間】の表し方があります。
本などではストーリーを構成する場合、【時間】の順序(フラッシュバックなど)、頻度(反復法など)をどのように扱うかが重要になります。
そして【時間】の技法の中で私の「日常」に対する考えに変化を与えたのが、【時間】の速度の表し方です。
まず【時間】の速度を表す技法として、情景法、休止法、省略法、要約法の4つがあります。
情景法とは物語の中での劇的な出来事を表す際に使われる、内容の速度と同じ速度で語られる技法です。そのため物語はリアルスピードで進みます。この技法は本の中の台詞の部分や、映像で多く使われます。
次に、休止法とは語り手により、登場人物が誰も見ていない場面を示す技法で、景色などの描写でよく見られます。休止法では、物語は進まないため速度は0になります。
次は省略法です。省略法とは一定の期間を省略するという技法です。「二年後・・・」などで示されます。この場合、物語は無限の高速度で進みます。
そして最後の要約法とは数日、数カ月、数年の生活を行動などの詳細を抜きにして短くまとめる技法であり、物語は高速度で進みます。
まとめると、物語の速度(1つの内容に割り当てられる長さ)は速い順から
省略法、要約法、情景法、休止法
で示されることになります。
そしてこの技法を学んで、私が最も重要だと感じた部分は、
この4つの技法を組み合わせることよって、物語の内容に緩急が生まれ、強調すべき部分がより強調される
というところです。
それぞれの内容によって速度を変化させる、技法を選択することによって、物語のメッセージが伝わりやすくなります。そして私はこの学びから「日常」に対する新たな考え方に出会いました。それは、
自分が山場を迎えるためには必ず「日常」が必要
だということです。ずっと物語が同速度で進んでしまえば何の面白さはなく、山場にいるときでさえも「日常」で感じる感情と同じテンションにしかなれない可能性もあります。これは本、映像だけでなく人生であったり多くのものに当てはまると思います。
もう一度考えてみます。
私たちにとって「日常」は本当にいらないものでしょうか?
本当にいらないものとは「日常」に対する嫌悪感ではないでしょうか?
私たちには「日常」を過ごす自分に対して、嫌悪感を抱く必要があるのでしょうか
[Ⓐ’s blog no,3]