みなさんは今、一本映画を見るなら、無声映画と有声映画のどちらを見ますか?
私ならすぐに「有声映画を見る」と答えたと思います。みなさんはどう答えましたか?
有声映画は映画の発展形であるし、またどうしても無声映画には、セリフがないためわかりづらい、音楽が流れないため盛り上がりに欠ける、などのマイナスな印象があるからです。また無声映画上演当時は、上映会場には活動弁士と呼ばれるセリフを言ったり、情景の解説をする人やオーケストラがいて無声を補っていましたが、今無声映画を見るとなると、完全に無声で見ることになります。(今は後付けで音楽が挿入されている動画もあります。)そのため更に有声映画を選ぶと思います。
しかしこれは過去の答えになりました。
無声映画を見た今の私は、見たことがない人に対して「一本見るだけで変われるツール」だと、無声映画を勧めます。無声、有声の両方ともに良さがあり、一度無声映画に触れるだけでも考えの幅が広がると実感したからです。
そしてその1本に私はチャップリンの「キッド」という作品をお勧めします。
無声映画の作品の中でも特にこの作品に登場する子どもは、表情だけで作品のメッセージのすべてを伝えてきます。無声映画にある、(セリフがないから、音楽がないからメッセージは伝わらない)などの考えはこの作品が変えてくれます。
またこの作品は「表現の方法には限界はない」と思わせてくれました。
この作品で役者の表情からメッセージが伝わってきたように、表現には必ずしも言葉が必要だということはなく、他の手段でもうまく使えばどんなことでもメッセージを十分に届けられるのではないでしょうか?
私たちには得意、不得意があり、それは当たり前だと思います。しかし自分がうまく使える表現の手段を知り、つきつめれば「表現ができない」ということは起こらないと思います。
また得意、不得意とも言えず、中途半端な表現力しかないと思う人でも、言葉と音声、表情と動作のように表現の手段を組み合わせれば、メッセージは届くと思います。もちろん、中途半端と言えないほど苦手な表現手段を使わないといけない場面は多いです。しかしその時は、ほかの手段と組み合わせることによって補えると思います。
例えば私は文を書くことが得意だと思っています。しかし話になると何が言いたいのかわからないという指摘も受けます。そのため私は文を書いてメッセージを伝えます。どうしても会話で伝えなければいけないときは、ジェスチャーという手段を合わせて伝えることが多いです。
私には得意、不得意がはっきりあり、不得意な話ではかなり苦労していますが、それでも胸を張って表現者だと言います。自分で表現に自信がないと思っている人も、必ず表現者です。
「私は表現する力がある、表現者だ」と思って、少しでも自分に自信を与えてあげてみるのはどうですか?
[Ⓐ’s blog no,1]